
2013年05月09日
自他共栄の精神
いつもお世話になっているtomoyui先生から、素敵な記事があると教えて頂きました。
余録:スポーツが好きな子どもたちを持つ保護者の皆さん…
毎日新聞 2013年05月05日 00時03分
スポーツが好きな子どもたちを持つ保護者の皆さんに読んでほしい文書がある。東京都町田市にある私立和光(わこう)中学男子バスケットボール部顧問だった両角憲二(もろずみ・けんじ)さんが書いた「和光の丘より さわやかな風を」だ
▲バスケット経験を持つ両角さんは1990年に赴任して驚いた。ジャンプシュートを打てる生徒がひとりもいなかった。さらに驚いたのが週3日という練習日数の少なさと、午後5時20分には終了という練習時間の短さだった
▲負けて当たり前という言い訳が試合前から用意されていた。相手コートにさえなかなかボールを運べないという状況から13年後の2003年12月21日、東京都新人大会で約650校の頂点に立つのだが、そのサクセスストーリーを紹介したいのではない
▲優勝を決めたその日、応援の保護者ら向けに両角さんが配布したのが「和光の丘より」だ。
(1)相手の不注意によるミスには拍手しない
(2)相手のフリースローの失敗に対しては拍手しない
(3)相手のファウルに対して拍手や「ナイスファウル」などの声をかけない
(4)審判のジャッジに対する不満の声はかけない
▲ゲームは相手がいて初めて成立する。だから対戦相手は「敵」でなく、ナイスゲームを共に作る「パートナー」なのだ。どんなに強くても、相手のミスや反則を喜んでいては敬意や称賛は得られない。審判が気持ちよく笛を吹けてこそナイスゲームは生まれるのだ
▲両角さんは現在、和光中学・高校の校長の職にあり、現場の指導からは離れている。だが、フェアプレーの精神が凝縮(ぎょうしゅく)された文書は10年後の今も色あせず、いや今だからこそ光を放っている。
全てがbjリーグに当てはまるものではありませんが、この精神はbjリーグに関わる多くの人たちにヒントを与えてくれるのではないだろうかと思っております。
そもそも生きていれば自分が思う様にいかない事ばかりです。
ラーメンを注文したらスープがぬるかった。
列に並んでいたら前に割り込まれた。
銀行で長い間待たされた。
天気予報では晴れだったなに急に雨が降りだした。
コンビニの店員さんの接客態度が悪かった。
みんな「ちぇっ!」とは思いながらも、「しゃあないな」で済ます人が殆どでしょう。なのに何故bjリーグの試合観戦では「しゃあないな」で済ませられない人たちが大声を上げるのでしょうか。
「またいい事もあるさ」そんな心のゆとりを大切にしたいと思います。
余録:スポーツが好きな子どもたちを持つ保護者の皆さん…
毎日新聞 2013年05月05日 00時03分
スポーツが好きな子どもたちを持つ保護者の皆さんに読んでほしい文書がある。東京都町田市にある私立和光(わこう)中学男子バスケットボール部顧問だった両角憲二(もろずみ・けんじ)さんが書いた「和光の丘より さわやかな風を」だ
▲バスケット経験を持つ両角さんは1990年に赴任して驚いた。ジャンプシュートを打てる生徒がひとりもいなかった。さらに驚いたのが週3日という練習日数の少なさと、午後5時20分には終了という練習時間の短さだった
▲負けて当たり前という言い訳が試合前から用意されていた。相手コートにさえなかなかボールを運べないという状況から13年後の2003年12月21日、東京都新人大会で約650校の頂点に立つのだが、そのサクセスストーリーを紹介したいのではない
▲優勝を決めたその日、応援の保護者ら向けに両角さんが配布したのが「和光の丘より」だ。
(1)相手の不注意によるミスには拍手しない
(2)相手のフリースローの失敗に対しては拍手しない
(3)相手のファウルに対して拍手や「ナイスファウル」などの声をかけない
(4)審判のジャッジに対する不満の声はかけない
▲ゲームは相手がいて初めて成立する。だから対戦相手は「敵」でなく、ナイスゲームを共に作る「パートナー」なのだ。どんなに強くても、相手のミスや反則を喜んでいては敬意や称賛は得られない。審判が気持ちよく笛を吹けてこそナイスゲームは生まれるのだ
▲両角さんは現在、和光中学・高校の校長の職にあり、現場の指導からは離れている。だが、フェアプレーの精神が凝縮(ぎょうしゅく)された文書は10年後の今も色あせず、いや今だからこそ光を放っている。
全てがbjリーグに当てはまるものではありませんが、この精神はbjリーグに関わる多くの人たちにヒントを与えてくれるのではないだろうかと思っております。
そもそも生きていれば自分が思う様にいかない事ばかりです。
ラーメンを注文したらスープがぬるかった。
列に並んでいたら前に割り込まれた。
銀行で長い間待たされた。
天気予報では晴れだったなに急に雨が降りだした。
コンビニの店員さんの接客態度が悪かった。
みんな「ちぇっ!」とは思いながらも、「しゃあないな」で済ます人が殆どでしょう。なのに何故bjリーグの試合観戦では「しゃあないな」で済ませられない人たちが大声を上げるのでしょうか。
「またいい事もあるさ」そんな心のゆとりを大切にしたいと思います。
2012年10月24日
中日新聞に滋賀 対 大阪の記事が掲載

中日新聞に野洲市総合体育館で行われた滋賀レイクスターズ 対 大阪エヴェッサの記事が掲載されていました。
インタビュアーは主に我らが闘将藤原隆充選手でしたが、記事の内容は非常に自分達に厳しいものでした。
「こんなバスケットでは琉球に勝てない。」
僕は彼のこの言葉を読んだ時とても嬉しく思いました。今までのレイクスの選手のインタビュー内容は決まって「自分達のバスケットをすれば勝てる。自分達のバスケットが出来なかったから負けた。」という中味の薄いものでした。
『自分達のバスケットを崩すのが相手チームの仕事なのに。』といつも疑問に思ったものです。
しかし今は「琉球には勝てない。」と客観的に自分達の力を推し測る様になった。「(琉球に)胸を借りるつもりで。」という言葉も偽らざる素直な気持ちの表れだったのだろうと思います。
大阪戦、2試合ともスタートで愚図ついたのは「大阪」という名前の重圧だったのではないでしょうか。それまでの対戦成績6勝20敗、意識するなと言っても無理だったと思います。しかしレイクスが偉いなと思ったのは、そこから地味な事でコツコツ試合を立て直す事が出来た事です。今までなら早く楽になりたがろうとした。だからバスケットが小さくなり、シューターが多い分入るには入るがその分失点も重ねて終わってみたらちっとも点数が縮まらない。
『やる事をやって負けたのなら相手の方が強かったと諦めもつくが、やる事をやらないで負けるから納得がいかない。』この4年間の僕のレイクスに対する感想です。しかし大阪戦ではポストにボールが入ると必ずショウで圧力をかけて、まだまだ完成度は低いけれど、その食み出た一人分を他のフォワードがカバーしようとする意識を感じる事が出来ました。
滋賀レイクスターズよりも琉球ゴールデンキングスの方が強いのは誰の目から見ても明らかでしょう。でもとにかくやらなければいけない事をキチンとやってきて欲しいなと思います。試合経過の点数なんて見る必要はありません。要所でハドルを組み、常に自分たちの方向性が間違っていないかチェックして大きな声を掛け合って欲しい。
得点王やスティール王、リバウンド王なんて他の誰かさんにくれてやればいい。レイクスは全員で総得点王や最少失点率を狙えばいいんです。『ONE FOR LAKES ALL FOR SHIGA』とはその宣言だと僕は思っています。
2012年09月14日
私のお気に入り 私の一冊
大垣書店の70周年を記念して、「私のお気に入り 私の一冊」という冊子が発行され、そこに京都ハンナリーズの瀬戸山キャプテンの投稿記事があるという事で、幸運にも手に入れる事が出来ました。
瀬戸山キャプテンのオススメの本がこの、「コーチKのバスケットボール勝利哲学」という本です。コーチKは、バスケットボールファンなら知らない人は居ないでしょう。デューク大学でNCAAチャンピオン4回、世界バスケットボール選手権トルコ大会、北京・ロンドンオリンピックでアメリカ代表に金メダルをもたらしたマイク・シャシェフスキーヘッドコーチです。
本当に素晴らしい本でした。瀬戸山主将の語る通り、決してバスケットボールだけのバイブルではなく、どんな職業の人でも一度は読んでみて欲しいと思う内容でした。こぶしの比喩という言葉がありました。5本の指が固く結びついて一つになった“こぶし”は、指が伸びてバラバラな5本の指と比べて遥かに強力である。これは何もバスケットの世界だけではなく、5人のプレイヤーを5人の家族に置き換える事で同じ意味を共有出来るのです。
感動する言葉はこの世の中には星の数ほどあります。しかしいくら心地良い言葉を沢山目に耳にしても大半が言葉の一人歩きに過ぎないと僕は思っています。何故ならその言葉は体験から生まれなければ何の意味も成さないと思うからです。素晴らしい言葉は自分の血と肉にしなければ単なる標語に過ぎません。
折角こんな素晴らしい本を出会ったので、この本の40の言葉の感動を少しでも味わえるように、今日から一生懸命汗を流したいと思います。この本は一生懸命前向きに生きようとする姿勢から紡ぎ出された言葉集です。浜口ヘッドコーチ、瀬戸山主将、素晴らしい本との出会いを与えて頂き誠にありがとうございました。
2012年05月24日
豆腐がいちばん
魚も好きなのですが、僕は豆腐も大好きなのです。豆腐好きですが、あまり豆腐の事をよく分かっていないなという事に気がつきまして「これじゃイカン。」という事で、こんな本に出会う事が出来ました。

豆腐の歴史ってスゴいんですね。なんと今から二千年前に中国で作られたそうです。日本へは奈良時代に渡来してきたそうで、沖縄には中国との貿易交流の独自のルートで入ってきたそうです。鎌倉時代には精進料理として「おかべ(壁)」と呼ばれていて、「豆腐」という名称は室町時代から、一般庶民に広まったのは江戸時代からだそうです。
大きく分けて豆腐には「木綿」と「絹ごし」がありますが、この名称の意味は思ったより単純な理由で、「木綿」は製造過程で使われる木綿の布目が豆腐の表面につく事から、「絹ごし」は布目が無く、スベスベとした触感でのどごしも非常に滑らかであることからその名が付けられたそうです。
豆腐がスゴいなと思うのは料理法を選ばない事だと思います。煮る・炒める・揚げる・和える・何かをかける・漬ける、あらゆる料理法が適用できます。最近ではイタリアンでもフレンチでもベトナム料理でも使われ、なんとスイーツの食材としても使われているそうです。
豆腐にはタンパク質・レシチン・コリン・サポニン・イソフラボン・カルシウム・オリゴ糖・ビタミン類といった、人間が生きるために欠かせない大切な成分が豊富に含まれています。また、大豆では吸収されにくい栄養素が吸収され易い形となっており、病人食・老人食・離乳食にも最適です。
最近はめっきり豆腐屋さんの数が減りましたね。でもスーパーで販売されている豆腐よりもやっぱり豆腐屋さんのお豆腐は美味しいので、豆腐くらいは贅沢してもバチが当たらないだろうと思っています。
豆腐の歴史ってスゴいんですね。なんと今から二千年前に中国で作られたそうです。日本へは奈良時代に渡来してきたそうで、沖縄には中国との貿易交流の独自のルートで入ってきたそうです。鎌倉時代には精進料理として「おかべ(壁)」と呼ばれていて、「豆腐」という名称は室町時代から、一般庶民に広まったのは江戸時代からだそうです。
大きく分けて豆腐には「木綿」と「絹ごし」がありますが、この名称の意味は思ったより単純な理由で、「木綿」は製造過程で使われる木綿の布目が豆腐の表面につく事から、「絹ごし」は布目が無く、スベスベとした触感でのどごしも非常に滑らかであることからその名が付けられたそうです。
豆腐がスゴいなと思うのは料理法を選ばない事だと思います。煮る・炒める・揚げる・和える・何かをかける・漬ける、あらゆる料理法が適用できます。最近ではイタリアンでもフレンチでもベトナム料理でも使われ、なんとスイーツの食材としても使われているそうです。
豆腐にはタンパク質・レシチン・コリン・サポニン・イソフラボン・カルシウム・オリゴ糖・ビタミン類といった、人間が生きるために欠かせない大切な成分が豊富に含まれています。また、大豆では吸収されにくい栄養素が吸収され易い形となっており、病人食・老人食・離乳食にも最適です。
最近はめっきり豆腐屋さんの数が減りましたね。でもスーパーで販売されている豆腐よりもやっぱり豆腐屋さんのお豆腐は美味しいので、豆腐くらいは贅沢してもバチが当たらないだろうと思っています。
2012年04月25日
連載 中村和雄の遺産

今シーズン4度目の浜松東三河への訪問の一番の目的は、フェニックスブースターさんから、東日新聞に連載された「中村和雄の遺産」のコピーを頂く事でした。
中村ヘッドコーチに近づきたい。中村ヘッドコーチの事をもっと知りたい。そんな僕にとってこの資料はまさに至宝でした。本当にありがとうございました。
今回また中村ヘッドコーチの知らざる部分を知る事が出来ました。それはコーチが東三河地域のバスケットの振興・発展に深く関わっておられた事です。
人を育てる。こんなに難しい仕事は無いと思います。何故なら育てる対象は自分の子供ではなく「他人」だからです。相手だけを見て指導する事は簡単な事だと思います。何故なら相手の劣っているところを見つけて指摘すれば良いのですから。しかし本当の指導とは、自分が理解している事を相手にも理解してもらわなければなりません。そのジレンマは指導者なら誰もが悩み苦しむ事でしょう。

子供たちは指導者を選ぶ事は出来ません。そして子供たちは純真無垢です。否が応でも出会った指導者はその子のバスケット人生に大きな影響力を与える存在となります。
中村ヘッドコーチの多くの愛弟子の方々が地域のバスケットの指導に貢献し、その地域のバスケットを盛り上げ、強化されていく。本当に東三河の子供たちは素晴らしい環境でバスケットが出来て羨ましいと思います。
たまに「子供は苦手。」という方がおられます。しかしOSGスクエアでの中村ヘッドコーチは年配の方に対しても小さなお子さんに対しても必ず会話が弾み、人を惹き付けました。「何故なんだろう?。」と考えた時にふと気付きました。
「この方の目線はどんな人とも必ず同じ目線なんだ。」
一見「我」の塊の様な人に思われがちですが、この方は勝負の舞台から降りるといとも簡単に「我」という鎧を脱ぎ棄てられます。「人を見抜く。」と言うよりも、コーチの心には門がありません。この方に見て頂きたいとこちらが脱ぎ捨ててしまうのです。

中村ヘッドコーチの指導は妥協を許さないとよく言われます。しかしそれはつまりコーチの指導は「失敗する子には何度でも付き合う愛情がある。」という事ではないでしょうか。誰もが苦しむジレンマを、寝食を忘れて打ち込む熱意が克服してきた、そんな気がしてなりません。僕は、素晴らしい指導者とは選手の魂に火をつける人だと思います。だから中村ヘッドコーチはあれだけ燃えているのではないだろうかと思うのです。
僕も近い将来、子供たちにバスケットを教えてみたいという意欲が芽生えました。